2007年 03月 11日
第10回 遠野郷における「北」と早池峰山 |
死者を「北枕」にする。これは、北は陰極まる方角であり生命の終着点で「北は死者の魂が行くところ」と考えられていることに由来する。北の果てには北極星があり、北極星は一点に留まっているように見えるが、実は小さく円弧を描きながら時計とは反対に「左まわり」に回転していると言う。
また、星形で九字を切ることは第6回で記したが、その後、詳しく調べたところ、その九字を切る場所とは仏教でいう「引導を渡す(死者に最終的な宣告をする)」時であり、星形は「左まわり」に一筆書に九字を切ることが分かった。
ここ遠野の地に於いて、遠野のほぼ真北に位置する霊峰早池峰山に向かって手を合わせることは、自然に北極星を拝むことに通じる。事実、山伏は「死ぬと御山に帰る」と語っているし、かの佐々木喜善(遠野物語の話者)も「早池峰は死者の魂が帰って来る所、また魂が集まる所」と記している。
生産技術が低く、農耕儀礼が大きな比重を占めていた古の人々は、自然現象、自然にあるもの、太陽や月や北極星等にも神を見、神を感じていたのだろう。だから農耕に使う水の水源である山にも「神」を見たのだろう。
古代の遠野の人々は、「早池峰の神や祖霊は南斜面の日だまりから、南に広がる遠野の里に住む人々を見守っていてくれる」「その神霊、霊魂のエネルギーが万物を生成し子孫を繁栄させるのだ」と考えたに違いない。
現代の遠野においても山の神は「安産の神様」と信仰され、奥さんのことを「ヤマノカミ」と言っていることからも、古代の人々の早池峰山への信仰のあり方が窺えるといえよう。
また、星形で九字を切ることは第6回で記したが、その後、詳しく調べたところ、その九字を切る場所とは仏教でいう「引導を渡す(死者に最終的な宣告をする)」時であり、星形は「左まわり」に一筆書に九字を切ることが分かった。
ここ遠野の地に於いて、遠野のほぼ真北に位置する霊峰早池峰山に向かって手を合わせることは、自然に北極星を拝むことに通じる。事実、山伏は「死ぬと御山に帰る」と語っているし、かの佐々木喜善(遠野物語の話者)も「早池峰は死者の魂が帰って来る所、また魂が集まる所」と記している。
生産技術が低く、農耕儀礼が大きな比重を占めていた古の人々は、自然現象、自然にあるもの、太陽や月や北極星等にも神を見、神を感じていたのだろう。だから農耕に使う水の水源である山にも「神」を見たのだろう。
古代の遠野の人々は、「早池峰の神や祖霊は南斜面の日だまりから、南に広がる遠野の里に住む人々を見守っていてくれる」「その神霊、霊魂のエネルギーが万物を生成し子孫を繁栄させるのだ」と考えたに違いない。
現代の遠野においても山の神は「安産の神様」と信仰され、奥さんのことを「ヤマノカミ」と言っていることからも、古代の人々の早池峰山への信仰のあり方が窺えるといえよう。
by fusigitono
| 2007-03-11 11:25